インターナショナル・フェア2004 -番外編-

平成16年2月14日、掛川市役所4階会議室において、インターナショナル・フェア2004を開催し、メインイベントにスピーチコンテストを行ったのですが、体調不良や仕事の関係で、当日出場出来くなってしまった方が2名ほどいらっしゃいました。その方たちがせっかく準備していたスピーチを是非お伝えしたいと思い、ご本人の同意の上、この場でご紹介することに致しました。どうぞご覧下さい。

黒岩 ヘンリー(ペルー)
会社員、来日13年

 私は、今でもはっきりと、あの暑い8月を思い出します。私の夢がいっぱいの、この国に着いた日のことです。私は、わずか16才でしたから、大変わかく(今でもまだ、わかいですが)、そして日本について、なにも経験がありませんでした。こちらに来るまでは、親類の人たちから日本のことを聞いていました。話を聞くたびに、日本の文化、言葉そして習慣に実際にふれてみたいと、いつも胸がドキドキしていました。
 成田に着いて、私はコーラが飲みたくなりました。大変暑い日で、のどがかわいたからです。どこで買えるのかな?とさがしますと空港の中に、コカコーラのロゴのある機械がありました。私は、しばらくジッとそれを見つめて、これだろうと考え、なんとかコーラを買うことがでました。
その当時、私の国ペルーでは、まだ自動販売機はありませんでしたので、自働で物を売る機械に大変興味を感じました。これが日本のテクノロジーと私の、最初の小さな出会いでした。
 さて、目的地の静岡まで何に乗って行くの?と私がまわりの人に聞くと、「デンシャ」という答えです。「えっ、デンシャ?汽車・TRENではないの?」と言いましがが、やはり「デンシャ」という答えです。 私は、ペルーを出る前、大正13年生まれのお父さんから、スペイン語のTRENは、日本語では「キシャ」と教えてもらいました。しかし、もう日本の鉄道はぜんぶ電化されていて、汽車はありませんでした。
東京駅からは、新幹線で静岡まで行きましたが、このようなすばらしい電車を作る日本の技術に、まず、大変びっくりしました。
 こうして日本に着いてから今日まで、私は日本に長く住んでいますが、私の日本に対する強い印象は、第一に、テクノロジー・つまり科学技術の大変進歩した国だということです。鉄道だけではありません。たとえば、自動車、携帯電話、デジカメ、パソコン、ナビゲータなど、毎日の生活の中でも、世界一のテクノロジーが使われています。
印象の第二は、こんなに科学技術が進んでいるけれども、日本の伝統的な文化、習慣、考え方が失われていないということです。日本は日本であって、どの国とも同じではありません。
テクノロジーと伝統の調和。これが私を受け入れてくれた国の特色です。 お父さんは私に「日本は大変発達しているから、向うに行ったら、見るものにびっくりするよ。おまえの近くにあるもの全部を覚えなさい。だけどヘンリー、日本は昔の習慣や文化も大切にする国だということを忘れてはいけない。」と言っていました。 汽車の話は少し古かったけど、お父さんのこの言葉は、まだ、そのとおりでした。
日本には天然資源がありません。ただ小さな島々からできた国です。それなのになぜ、テクノロジーが進歩して、アメリカに次いで世界で第2の経済大国になったのでしょうか。
私はこれまで、いろんなメーカーの現場で働いてきました。現在は、掛川のNECです。その経験から私の意見を言います。
 ひとつは、日本人の根気強さ。ある発明品を毎年毎年時間をかけて完全なものに改良します。
 ふたつには、日本人の向上心。他の国に負けないように非常に高いレベルの品質を目指して、いつも努力しています。
 みっつには、日本人は秩序と正直を大切にすることです。一つの例として、さきほど話した自動販売機は、日本では道路のそばにも置かれています。しかし、私の知るかぎり、よその国では、監視できるスーパーなどの建物の中にしかありません。泥棒に持って行かれるからです。
 よっつには、以上のような価値が教えられている、しっかりした学校教育と思います。
 いつつは、日本人が大変な働き者であることは、言うまでもありません。
以上のことは、私たちが何かを望むとき、努力と献身と向上心によって勝ち取るべきだということを、私たちに教えています。
 終わりに、日本人が働き者であることは、世界中の人が知っていますが、日本の皆さん!もっとたくさん休み、よりすくなく働いてはどうでしょうか。私の国ペルーでは、もっと休暇を楽しみます。そうすると人生がより面白くなりますよ。この点では、私はみなさんに教えることができます。ちょっと電話をかけてください。すぐ教えてさしあげます。
 ラストにすこし付け加えますが、「ラースト・サムライ」というアメリカ映画を、もう見ましたか。これは、おすすめです。サムライの名誉と誇りがテーマです。私は、この映画を見て、名誉と誇りを大切にすることは、当時から現在まで、発展する日本社会の基礎にあったと思いました。
 ご静聴ありがとうございました。

柳瀬 智恵美(ブラジル)
小笠高校1年

 皆さんこんにちは。私は小笠高校の一年生でブラジル人の柳瀬智恵美です。7年前にブラジルから日本に来て今小笠に住んでいます。
 私は日本に来た時は「おはよう」ということばさえ知りませんでした。テレビを見ても映像を見るだけで意味もわからず、そんな口が不自由な状態で小学校に入りました。そしてそれから大変な思いをして日本語を覚えました。
 そして日本に来て7年経ち、その間に私はいろいろなことに気がつきました。たとえば日本人の礼儀正しいところや、学校などの規則の厳しいところなどです。
 日本には13年位前から外国人が多くなったと聞いています。それまで日本には皆同じ黒い髪黒い目の日本人しかいなく、外国人に慣れていませんでした。そのため外国人が多くなってちょっとした人種差別ガ生まれたと私は思います。ではこれから私はそのことについての私の経験をお話したいと思います。
 先日私は家族と一緒に家の近くのお店に買い物に行きました。そしてお店に入ってから私はそこの店員さんにずっと万引きしないか見張られているような気がしたのです。私はそれに気がついてとてもいやな気持ちになりました。そしてすぐに何も買わないでそのお店から出てしまいました。 そのような経験をした外国人の方はいらっしゃいませんか。私はきっとそういう方は少なくないのではないかと思います。
 日本人はただ自分と違う外国人だからということだけで人を悪く判断しがちなのではないかと、私はその時思いました。もちろん多くの日本にいる外国人が犯罪を犯しているのは事実です。しかしだからといって、すべての外国人が犯罪を犯すとは限りません。
 私の国ブラジルにはいろいろな人種の人が住んでいます。そのため他の人が自分と違っても全然気になりません。違っていてあたりまえなのです。ですからそういう人種差別はありません。
 もちろん日本人がみなそうであるとは思いません。私の周りにはとても親切で私に気を使ってくれる友達や、日本のことをもっと知ってもらおうと色いろ教えてくれる人、そして日本になじんで欲しいと助けてくれる人もたくさんいてとてもうれしいです。
 人間は国籍が違えば髪の色や目の色が違うのは当たり前です。でも見かけは違っても皆人間なのですから、誰とでも同じように接するべきだと私は思います。そして国籍に関係なく、日本に住んでいる同じ「日本人」としてお互いに信頼しあって仲良く暮らしていけることを強く望みます。

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